Saturday, May 22, 2021

お祝いすることの多い5月

ノルウェーでは、ゴールデンウィークがありませんが、ノルウェーでも5月に祝日が多いです。その中、イースター(復活祭)と関係ある祝日があります。イースターは毎年日にちがちょっと違うので、イエス・キリストの復活をお祝いする日から数えたら、大体5月になりました。復活祭の40日後は、昇天日と言う、キリストが天に上げられたことを記念します。今年はそれが13日(木)でした。そして明日は復活から50日目だからペンテコステ(50という意味)があります。日本語では聖霊降臨という祝日です。それを後でもっと説明します。 今年は昇天日とペンテコステの間に、毎年日にちが変わらない憲法記念日があります。
5月17日はノルウェーの誕生日と呼ばれています。1814年ノルウェーの憲法が与えられました。普段その日神様に国民の自由を感謝するために、まず教会に集まって礼拝します。その後子供のパレードなどがあります。しかし、今年コロナのためまだ制限が厳しかったので、礼拝は中止になって、また子供のパレードもありませんでした。その代わりに車のパレードがありました。 大勢の人の集まりはできませんでしたが、みんながそれぞれいるところで、昼12時、同時に国歌を歌うように勧められました。私は隣の家の家族と一緒に歌いました。 天気がとてもよくて、気持ちの良い日でした。 今日も晴れで、かなり暖かい一日でした。日本と比べたら、16度はあまり暖かいと思われないでしょうが、こちらではもう夏に向かっている感じですよ!今日は今年初めて半ズボンと半袖で、外で昼ご飯を食べました!
大家さん夫婦はガーデニングがお上手です。今は私の周りにいっぱいきれいに咲いています。本当にきれいです。小鳥もたくさんいます。
明日と明後日23日と24日はペンテコステの祝日です。復活祭のイーブと同じように、今日も教会の鐘が17時から18時まで鳴り続きました。とても良い響きです。どうぞ、お聴きください。 明日は県の北部の教会で聖書のお話しをする予定でしたが、昨日はその市にコロナ感染者が急に増えたので、集会が全部中止になりました。私がこの間自分のメッセージを録画したので、それはYouTubeに出されるそうです。しかし、それはノルウェー語なので、残念ながらみなさんは理解できません。そのテーマは「神様は私の言葉で語られる」という説教題です。日本人はノルウェー語を勉強しなければ、聖書の教えを知ることができなければ、本当に残念です。でも、その心配がありませんよ!聖書の日本語にも翻訳されているし、教会もたくさんあります。山陰地区には、教会はまだ開いていると思いますが、コロナの制限のために、教会が閉まっているところも多いようですね。その代わりにオンライン礼拝をやっている教会がたくさんあります。 自分が話す予定の所に行かなくていいので、近くの母教会に礼拝に出席することができます。お楽しみです! 明日話すつもりメッセージを実は3年前に似た話を松江ルーテルのインターナショナル夕礼拝で英語で話しました。日本人のために、友達が日本語訳を作ってくれました。 よかったら、それをお読みくださいね!キリスト教をあまりご存じない方も、少しでも理解してくださったらいいと思います。 「神様は私の言葉で語られる!」 何年か前、私は大阪のKGK(キリスト者学生会)で働いていて、大学で学生と聖書の勉強会を開いていました。私が定期的に訪ねていた大学の一つ、大阪外国語大学を訪問した時のことです。普段は一人で大学に行っていたので、道中は誰とも話さなかったのですが、その日はノルウェーから来た学生と一緒に行くことになりました。大学までのバスの中、二人で立ったままノルウェー語の方言でしゃべっていました。すると突然、ある日本人男性が立ち上がって、「Er dere fra Norge?(ノルウェー出身ですか?)」とノルウェー語で声をかけてくださいました。本当に驚きました!話を聞くと、その方は大学の教授で、大学でスウェーデン語を教えておられました。スウェーデンには10年間暮らしていて、ノルウェーにも行ったことがあるそうです。スウェーデン語とノルウェー語はとても似ているので、私たちの言葉や特殊な方言でさえ分かったのですね! みなさんは、海外で突然、現地の人に母国語で話しかけられたことがありますか?その時、みなさんも私と同じように驚くでしょう。ですが、同時に嬉しくありませんか?自分の言葉を理解できて話せる人がいると、安心しますよね。  神様は、ご自身の業が世界中の言語で言い表され、証人を通して世界中の一人一人の心に神様が直接語ることができるという未来を目指しています。使徒言行録2章から、それがどのように始まったのかを見てみましょう。  先週の日曜日はペンテコステ(聖霊降臨日)といって、イースターから50日目でした。ペンテコステとは、イエスが友人たちから去る前に約束した聖霊を、天から授けてくださった日です。弟子たちはエルサレムに集まり、その約束の時を待っていました。聖霊が与えられた時、彼らは他の言語で話し始めました。  その時、エルサレムには様々な国から人が来ていました。他国に移り住んでいたユダヤ人や、ユダヤ教の信仰を持った外国人もいました。その人たちがユダヤ教の祭りを祝うために、エルサレムに集まっていたのです。その日、その人たちは今まで見たことも聞いたこともないことを体験しました。自分の国の言葉で神様からメッセージを聞いたのです!そして人々は、語っている人たちがただのガリラヤ出身の者だと分かりました。当然、エルサレム外国語大学の卒業生ではありませんね!彼らのうちほとんどが、田舎から出た漁師でした。 7-8「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。 弟子たちが外国語を勉強していたわけでもないのに、集まっていた人々はそれぞれ自分の国の言葉で、イエスや彼からの贈り物についての話を聞くことができました。本当に大きな奇跡ですね。それは確実に、弟子たち自身の力によるものではありません。 9節から10節には読みにくい地名が多く出てきます。それらの場所から来た人々は、11~12節で次のように言いました。 11ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」12人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。 人々は非常に驚きました。自分の国の言葉を神様が話しているのを聞くのは、これが初めてです。なので、人々は「これは一体何事だ?」と互いに言いました。そこで、弟子の一人であるペトロは何が起こっているかを説明します。 ペトロ――シモンという名前の弟子で、イエスから新しい名前をもらったペトロを覚えていますか?ペトロは「岩」という意味です。イエスはこの名前を与えることで、ペトロに他の弟子たちの中で特別な役割を与えようとしたのでしょう。しかし、彼は自分の力では何もできませんでした。彼は考える前に動いたり話したりする人でした。多くの過ちを犯しました。おそらく、彼の最大の過ちは、たとえ他の人が全員見放しても、自分はイエスのそばにいると約束したことでしょう。彼は、必要ならばイエスと死ぬことまでも約束しました。しかし、イエスが捕らわれた夜、イエスの予想通り、ペトロは彼の大親友(イエス)を知らないと三度も否定しました。鶏が鳴いた時、ペトロは激しく泣きました。彼は自らの弱さに気付いたのです。 もし、イエスが死から復活しなかったら、ここで福音や聖書は終わっていたでしょう。イエスは十字架で死に、弟子たちは逃げ去った。イエスの言葉は次世代に語り告げられはしなかったでしょう。十字架の意味や、なぜイエスが死ななければならなかったのか語ることは決してなかったでしょう。おしまい。なんてひどい終わり方でしょう! しかし、これで終わりではありません!三日目にイエスは死からよみがえりました。イエスはペトロや他の弟子たちに会って、新たな始まりや未来への希望、そして使命を与えました。「世界中の国へ行き、福音を伝えよ!」イエスはさらに、彼らに天から力を授けると約束しました。そして初めてのペンテコステの日に起こったこと、それがイエスの約束の実現でした。ペトロがイエスを知らないと言ってから、たった53日後、彼は今や何千人もの前に立って、イエスが救い主であり主であると言い表したのです!誰がペトロをこんなにも勇敢にしたのでしょう?聖霊を彼に与え復活されたイエスに違いありません!  そこで、ペトロは聖霊に満たされて何を語ったのでしょう?最初に、彼は何が起きているのか説明するために、旧約聖書の預言者の言葉を引用しています。しかし、彼の主な点はイエス・キリストについてです。 36だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」 神様が自分の国の言葉を話すのを聞いて驚いていた人々は、ここでもう一度驚きました。しかし、今度は恐怖心を抱きました。彼らは、自分たちが何をしてしまったのかを突如として理解したのです。「人々は大いに心を打たれた」。 37人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。 人々は自らの罪に気付き、罪悪感を抱きました。せっかく神様がその独り子をお遣しになったのに、人々はイエスを拒み、約束の救い主であると信じませんでした。彼らは自分たちが裁きに値すると分かったのです。なので、熱心になって「どうしたら良いのですか?どうしたら神様の怒りや裁きを免れるのですか?」と尋ねたのです。 みなさんは、同じような体験をしたことがありますか?いつか自分が聖なる神様の御前に立って、自分の命の責任をとらなければならないという恐ろしさを感じたことがあるでしょうか。「私はどうしたらよいのですか」と心から祈ったことがありますか? 日常の中で、どうやってその問題を解決するかという疑問は多くあります。例えば、日本人の学生は「どうやったら英語が上達できる?」「卒業したら何の仕事に就けば良い?」と尋ねるでしょう。私たち外国人は「どうやったら日本語がうまくなる?」と聞くと思います。 もし「~の方法」とグーグルで検索すれば、探しているアイディアが見つかるかもしれません。ですが、本当に大切な答えを探している人はどのくらいいるのでしょう。本当に重要なのは、神様との正しい関係を築く方法であり、神様の子どもになれる方法、神様の裁きの代わりに愛を体験する方法です。 ここに答えがあります。聖霊がペトロの口を通して、答えています。 38すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」  悔い改めとは、立ち返ることです。神様のもとに戻るのです。神様にごめんなさいと祈り、迷子になった場所から神様のもとに帰りましょう。イエスをあなた個人の救い主として迎え入れ、従いたいと言い、洗礼を受けましょう。その時、罪はゆるされ、心の内に聖霊を受け取ることができるでしょう。 良い人になろうとして救われることはありません。ただ、神様からの完璧な贈り物を受け取ることによって、新しい命が与えられるのです。神様は私たちの言葉で語られます。神様のメッセージを理解するために、ギリシャ語やヘブル語を勉強する必要はありません。母国語で聖書を読むことができるのです。なぜ神様はみなさんの国の言葉を話したいのでしょうか?それは、神様がみなさんを愛しているからです。コミュニケーションをとりたいからです。神様は関わりを持つために、手紙を送ってこられたのではありません。愛する独り子を遣わしてくださったのです。人間の姿になって人間の言葉を話し、みなさんや私のようにこの地で生きました。しかし、イエスにはみなさんや私とは違う面もありました。イエスは、どんな些細な悪い考えさえ心に抱かずに生きたのです。イエスは常に自らのことよりも他の人を想いやっていました。すべてのことにおいて、父なる神様に従いました。敵にさえ愛を示しました。罪のない方であったのに、罪人のように扱われました。事実、イエスはあなたの代わりに十字架にかけられ、彼自身があなたの罪への罰を受けました。そして復活によって、その救いの業は成し遂げられたと証明してくださいました。イエスを信じ、イエスが備えられたゆるしと永遠の命を受け取ることは、私たちのためだけにあるのです。 ペトロのメッセージを聞いた人々にその日何が起きたでしょう?聖書には、その日3000人以上の人々が神様からの言葉を受け取り、洗礼を受けたと書いてあります。 これも「すごい」!3000人とは、すごい人数ではありませんか。しかし、これは始まりに過ぎません。それ以来毎日、新しいクリスチャンが教会に加えられました。実は、当時は教会と呼ばれる建物はありませんでした。しかし、聖書の言葉で「教会」とは建物ではなく、場所でもなく、イエスにつながる人々の集まりをいいます。ペンテコステは、キリスト教教会の誕生日と呼ばれています。この教会は約2000歳です。教会はキリストの体とも呼ばれています。イエスを信じる者であり神様の子どもとして、私たちはキリストの体なのです。私はノルウェーの教会のメンバーであり、みなさんもそれぞれ地域の教会に所属していることでしょう。しかし、イエス・キリストに属しているなら、私たちはみな世界的な教会、キリストの体に属しています。 では、キリストの教会の目的とは何でしょう。世界には、さまよっている人がまだ大勢います。彼らは神様の愛から迷い出て、帰り道が分からなくなっています。教会の主な目的や使命は、その人たちに手を差し伸べることです。いまだ、多くの人が自分の言語の聖書を持たず、神様が自分の言語で語られると教えてくれる人がいない状況です。教会としての私たちの挑戦は、神様の招待とともにそういう人たちに救いの手を差し伸べることです。なので、教会は私たちのためだけではないということを覚えておきましょう。教会は、ここにいない人たちのためにも存在するのです。 キリストの教会はジグソーパズルのようなものです。ジグソーパズルはたくさんのピースがあります。みなさんは1000ピースのジグソーパズルを完成させたことがありますか?私にはそんな根気強さはありませんが、それが好きな人もいますね。神様の教会であるジグソーパズルは、まだ完成していません。ご覧の通り、成長する見込みがあります。新しいピースのための余白があります。一つのピースがどんな形をしているか分かりますか?全部、人の形をしていますよね。つまり、キリストの体である教会は、個々によって建て上げられています。まだ空きがあります。みなさんはその絵の中に入っていますか? 私たちの果たすべき使命は、全ての人に神様の言葉を伝えることです。そのために、聖霊の力が必要です。力の源につながる必要があるのです。 イエスから離れては、何もできません。しかし、イエスの愛に満ちた関係にとどまるなら、聖霊によって私たちを通して神様の業がなされます。キリストの体の一部として、イエスとの関係は最も大切なのです。 イエスと親しい関係にとどまるなら、イエスは人々に手を差し伸べるために私たちを用いてくれます。それにより、より多くの人が神様が自分の言語で語るのを聞き、イエスを信じるようになります。神様の目的は、あらゆる国や民族から神様ご自身のために人を生み出すことです。なので、神様は御言葉とともに私たちを送り出すのです。 (翻訳:中村成美)
ペンテコステおめでとうございます!

Sunday, March 28, 2021

Frå vinter til vår 冬から春へ

みなさん、ご無沙汰しています。ブログを中々アップしなくて、申し訳ありません。 やっとノルウェーにも春が近づいてきました。長い冬でしたが、とてもいい冬でした。地元の人々によると、こんなに良い天気の冬は数年ぶりだったそうです。
私はクロスカントリースキーが大好きです。日本だったら、年に一回や二回しかできなかったですが、今年は週に何回もスキーできました。 山に行かなくても、家の近くでもでコースが作られていました。
普段は一人でスキーしましたが、友達と一緒に行くのは楽しいですね。ゆっくりおしゃべりもできますね。
太陽の光から面白い花ができていますね。
少しずつ春に変わってきましたが、また雪が降りました。
子供たちは私より大きな雪だるまを作りました。
これは日本人ではありません。2月の下旬やっと琴が日本から届きました。長い旅でしたね。
いろいろな集会で聖書の話をしたり、日本での働きを報告したり、琴の演奏をしたりしています。ここでは、島大を卒業した学生たちのお祝いとして演奏しました。 最近コロナ感染が増えてきたので、また教会の礼拝や集会が中止になっています。今週はキリスト教のカレンダーには、受難週と呼ばれる時期です。イエス・キリストが私たちの罪の身代わりとして苦しみを受け、十字架の上に死んでくださったことを覚える時です。そして来週4月4日は、イエス様が死人の中からよみがえられたことをお祝いする復活祭(イースター)です。クリスチャンとしての大事な時期なのに、礼拝に出席できないのは寂しいです。しかし、オンラインの礼拝がたくさんあるので、聖書の話を何回も聞くことができます。もちろんノルウェー語ですが、日本の教会が礼拝をオンラインで配信するのも多いのです。例えば出雲福音ルーテル教会の礼拝をこちらで見ることができます。教会に行かれたことのない方も是非ネット上で様子をご覧になってください。 去年のイースターは日本でも礼拝が中止されてしまいました。イースター礼拝が持たれなくて残念でしたが、用意したお話しを録音することができました。よかったら、下のリンクからダウンロードしてみてください。(できない場合、私に連絡してください。直接送ることができると思います。) このメッセージのテーマは「イースターは中止されていないよ!」という説教題です。イエス・キリストの復活はキリスト教の土台です。教会に集まることが出来なくても、その土台は変わりません。揺るぎません! 最後に春の様子のご覧ください。

Monday, January 4, 2021

Heimbygda 故郷

No har eg budd i Norge sidan 11. desember. Etter karantenedagane har eg feira både jul og nyttår. Før eg reiste frå Japan, lovde eg nokre venner der at eg skulle skrive blogg på japansk for ikkje å gløyme språket, og for at dei kan forstå litt av det eg skriv. 12月11日からノルウェーに住んでいます。待期期間が終わって、クリスマスとお正月をお祝いしました。日本語を忘れないように、また日本人のみなさんのために、ブログを日本語で書いてみます。 借りている家から景色がきれいです。その中心に教会があります。クリスマス前の日曜日教会の鐘の響きに引かれましたが、まだ待機中だったので、礼拝には出席できませんでした。でも教会まで散歩だけはできました。
日本から送った琴はまだ届いていませんが、実家に眠っていたギターがあります。
帰国した時は雪がありませんでしたが、23日降り始めました。
ノルウェーでは、25日のクリスマスの日は祝日です。国旗をあげます。神の子イエス・キリストがお生まれになったことをお祝いします。24日も25日も久しぶりに教会に行くことができて、うれしかったです。コロナのために大きな会堂にも、50人しか入れませんでした。私は早めに予約したので、大丈夫でした。断られた人はいなかったと思います。でも遠慮する人がいたかもしれません。 24日はオンライン礼拝もありました。歌っている人は、みんな聖歌隊メンバーです。是非下のリンクをコピーして、開いてみてください。(このままクリックすることはできないようです) https://youtu.be/0F1BOTRIsko
私は故郷の教会が好きです。音楽もいいです。パイプオルガンとトランペットの演奏でノルウェー語の讃美歌を久しぶりに歌いました。本当に懐かしかったです。
大学時代の友達が遊びに来ました。ちょっと寒かったですが、散歩はいいですね。
もう一人の友達も来てくれました。新しい住まいの最初のお客さんでした。
天気はいいですが、太陽の光はまだ山の上までしか届きません。
今日は氷点下8度ぐらいでした。寒さの中で友達と散歩しました。友達は家に遊びに来る予定ですが、昨夜、政府がコロナ対策として新しいルールを決めました。その一つは、今日から2週間の間、お客さんを家に呼んではいけないということです。クリスマスとお正月の間は、各家族は後5人の客しか呼ぶことができませんでした。(その間2回10名を呼ぶ可能でした)。しかし、厳しくしても、感染者の数が減らず、逆に増えたらしいです。だから、今日4日から18日まではもっと厳しくなっています。日曜礼拝や平日の集会が全部中止になっているので、明日から始まるはずの仕事はしばらくできません。教会や家庭集会を訪問して、聖書のお話しをして、また日本での働きを報告する仕事です。しばらくあまり出かけることができませんが、18日以降のお話しを準備したり、またオンラインでもいろいろできると思います。明日は大阪の人と聖書を読む予定です。みなさん、聖書の話しをもっと知りたいなら、是非ご連絡くださいね!暇なので。。。

Saturday, December 5, 2020

Japansk julekonsert til søndagsfrukosten?

I morgon, på 2. søndag i advent, sender vi den årlege julefestivalen i Matsue på YouTube. Programmet byrjar kl 16.00 japansk tid, men i Norge passar det kanskje til frukosten din, dersom du er oppe kl. 8.00. Det er også mulig å sjå det seinare på dag, eller i dagane som kjem. Her er linken: https://m.youtube.com/watch?feature=share&v=CJeqjoAEXbY Du kan også scanne QR-koden på plakaten. Dette er eit tverrkyrkjeleg arrangement for heile byen. Eg har vore med som pianist, korsongar og dirigent sidan eg kom til Matsue i 2006. Sidan dette er siste gong for meg, iallfall for ei stund, var eg spurt om å ha ei helsing på fem minutt. Så du kan sjå og høyre meg snakke engelsk, i eit opptak frå oktober. Det blir også litt korsong frå i fjor.

Monday, November 30, 2020

Flyttfuglar

På avstand kan det sjå ut som sauer på beite, men dette er faktisk svaner som beitar. Dei kjem visstnok frå eit kaldare plass, og reiser kanskje vidare når snøen kjem her. Då eg såg desse svanene i går, tenkte eg kor lettvindt det hadde vore om eg også kunne reise like lett som dei. Eg eig altfor mykje. Og det har samla seg mykje i løpet av dei vel ti åra sidan eg flytta inn i denne leiligheita. I kveld har eg sortert ut gamle, slitne klede og papir som eg kan kaste. Det er ergeleg å kaste uleste blad og magasin, men det er for seint å byrje å lese no uansett. Det er innsamling i morgon, så då har eg litt press over meg. Eg må visst ha det for å få ting gjort. I går hadde eg siste tale i kyrkja i Arashima, der det også var avskjed for meg. På grunn av korona var det ikkje mat, men vi fekk utdelt ein kopp med ei kake til kvar enkelt, ifrå tidlegare pastorpar, som eg samarbeidde med nokre år.
Kakene var sendt med kjølebil ifrå ei kyrkje som ligg nær Tokyo. Dei hugsa at eg likte så godt denne bringebærkaka, så no hadde kona laga til alle. Det var akkurat nok til dei 29 eller 30 personane som var i kyrkja i går. På kaka står det "Takk, Valbø-sensei". (Sensei er tittel dei bruker på misjonærar, pastorar, lærarar, doktorar, frisørar mm)
Eg fekk med meg fire gutar frå Matsue til kyrkja i går. To av dei har vore der før, og to var der for første gong. Han med det mest fargerike håret traff eg faktisk for første gong i går, men eg har sett han ein gong på Zoom.
Etter avskjedssamlinga sende eg gutane tilbake til Matsue, medan evangelist Megumi og ei av medlemene i kyrkja tok meg med ut på lunsj. I morgon startar eg for fullt med pakking på heiltid. Får eg jobbe effektivt i tre dagar no, kan eg kanskje ta det litt rolegare mot helga og bruke meir tid ilag med folk. 8. desember kjem flyttebilen, anten eg vil eller ikkje. Eg skal vere klar. Utpå dagen reiser eg til Yonago og overnattar hos Caroline og David. 9. des. reiser eg til Kobe og har ei overnatting der, før eg reiser til Osaka utpå dagen den 10. og møter venner der. Flyavgangen er kl 23.30, så eg rekk mykje før den tid. Eg skal prøve å unngå å ta med korona heimatt. Det ser ut til at eg slepp koronahotell, for eg har dokumentasjon på at eg har ordna meg ein plass til å gjennomføre karantene. Så då kan flyttfuglen roe seg ei stund der. Sjølve jula blir eg nok heime på Valbøen, så vil du sende meg julepost, er adressa: c/o Magne Valbø, Storfjordvegen 180, 6240 ØRSKOG. Dette blir også postadressa mi iallfall fram til sommaren/hausten. Bustadadressa gir eg berre til venner som vil kome på besøk etter kvart. Då ønskjer eg alle ei god adventstid, og håper å treffe mange av dykk etterkvart.

Monday, November 2, 2020

Avskjed med Nima

Det er allereie gått over to veker sidan eg var i Nima for å ta avskjed. Engelskklasse-damene møtte opp på gudstenesta, fleire enn eg eigentleg hadde rekna med ville kome! Berre to av dei er med i den lille flokken som samlast til gudsteneste kvar søndag. Kanskje nokre av dei vil våge seg innom ein annan søndag, også, sjølv om dei ikkje er spesielt inviterte? Eg køyrde bortover på laurdag ettermiddag. Ei av dei som ikkje kunne kome søndag, ville stikke innom i kyrkja og treffe meg. Eg foreslo at vi kunne gå og sjå på solnedgangen ilag, og det ville ho gjerne. Og så dukka det opp to andre, også, som ikkje har vore med i klassa dei siste par åra. Det var kjekt å treffe dei att! Og solnedgangen var berre nydeleg! Eg har hatt mange turar ned til sjøen åleine. Dei andre tre bur eit stykke unna, så det var faktisk første gongen dei såg solnedgangen derifrå. Med ein norsk misjonær som guide!
Dei var med tilbake til kyrkja, der det også vart fotografering utan munnbind.
Søndagsmorgon i 8-tida ringde det på kyrkjedøra. Då var det ei til som ville helse på meg, men ikkje kunne kome på gudstenesta. Så var det tid for gudsteneste, der eg var både predikant og organist. Eg tilbaud meg sjølv til å spele på trøorgelet, sidan dei vanlegvis berre har musikk på boks(hymn player).
Slik såg forsamlinga ut ifrå preikestolen. Eg har forresten gløymt å spørje kvar dei norske bedehusstolane kjem ifrå.
Etter gudstenesta fekk eg gåve både frå kyrkjelyden og frå engelskelevane, begge overrekt av Machiko Chigane, som har ei deltidsstilling i kyrkja. Ho har vore misjonær i Indonesia, og vi arbeidde ilag eit par år i Kita-Osaka. Som pensjonist flytta ho tilbake til heimplassen og er aktiv i kyrkja i Nima.
Her er det obligatorisk fotografering av heile flokken. Det var omtrent like mange ikkje-kristne som kyrkjemedlemmer denne dagen.
For nokre dagar sidan fekk eg dette kortet i posten. Eit fint minne å ha med seg heim til Norge. Eg har hatt denne engelske bibelklassa i vel fem år no. Siste halvåret har vi for det meste berre møttest online, og det kan vi eigentleg halde fram med også etter at eg er tilbake i Norge. Vi har avtalt ein Zoom-kveld i slutten av november, og så har eg lovt at vi kan ta ein prat medan eg sit i karantene i Norge. Då skulle eg vel ha tid nok til det. Så får eg tru at det dei har fått med seg gjennom desse åra, har sett nokre spor. Guds ord skal ikkje vende tomt tilbake. Ver gjerne med og be om at flokken som samlast på søndagane, skal vekse.
På heimveg. Eg vil nok sakne å sjå det blå Japan-havet!

Tuesday, October 20, 2020

Blomsterglede

Ein søndagsettermiddag for vel ei veke sidan hadde eg invitert ei dame som av og til kjem i kyrkja. "Eg tek med litt blomster", skreiv ho i ei melding. Og det var ikkje lite, heller. Ho følgjer med på bloggen min, så dette er til ære for henne. Eg måtte finne fram alle vasane mine og alt som elles kunne brukast.
Det vart ganske fullt på blomsterbordet!
Blomstrane pynta opp utover veka, men dessverre varer ikkje blomstrar så lenge. Bibelen samanliknar også livet vårt med gras og blomster som visnar. Men der er noko som varer: "For alle menneske er som gras og all deira prakt som blomen i graset. Graset visnar, og blomen fell av, men Herrens ord varer til evig tid. Dette ordet er evangeliet som er forkynt for dykk." 1. Peters brev 1, 24-25
Slik går det med oss alle etter kvart. Difor er det viktig at vi har del i det som varer utover dette korte livet. Det kan blomstrane minne oss på.